リスナー以外
お断りです
有川・舘川が混迷の時代にあえて問う珠玉のコント
伝説のコント15本+αがあなたを酔わせます
コサキンコント劇場(1)服と犬
(興陽館)


こさきん亭
懐かしのレギュラー
◆ルー大柴
 東京都新宿区富久町出身 1954/1/14
 小堺・関根に負けず劣らず、この人もTVとコサキンではイメージが異なる。TVでは「強気、うるさい、くどい」のルーだが、コサキンでは「弱気、孤独、寂しがり」で通っている。

 本名は大柴亨(とおる)。「ルー」は「とおる」の「る」である。印刷会社のおぼっちゃんで、親のお金でヨーロッパを放浪した経験を持つ。
 若い頃は小堺と同じ「勝アカデミー」に所属していた。講師の岸田森には小堺よりも目をかけられていた(すでにTVで人気者だった小堺を岸田は認めていなかったようだ)。
 三橋達也の付き人を経て、俳優として「俺たちの旅」(日本テレビ系)でデビュー。「アムステルダム帰りのアムス刑事」という名前をひっさげて「太陽にほえろ!」のオーディションを受けたこともあるが、ルーは山下真司にはなれなかった。
 俳優で食えず、モデル、司会業など職を転々とする。その間、「大柴允人」などの芸名でも活動するが長くは続かず。「トリックスター」名で剛州らと即席のコントグループを結成。関根ともこのときに知り合う。
 その後、伝説の芸人「大久保運」の持ってきた、妙なポシェットをつけたモデル時代の宣材写真がコサキンで紹介され大ウケしたことがきっかけで、浅井企画に所属することとなる。ここから彼の芸能界人生が始まったと言っても過言ではない。好評を博したルーは、その脂っこさと、一般と外れた感性を生かし、番組冒頭でポエムを詠むうるさいコーナーを担当する。

 その後芸能界で売れ始めたことからめでたくコサキンは卒業。テレビタレントとして独り立ちするが、脂っこいイメージは相変わらず。NHKラジオで討論ごっこのあと叫んだ名文句「アイラブジャパン」も有名。小堺とのテレビ番組(名古屋圏ローカル)でも活躍した。

 テレビでの活動もコサキンでの人気も一段落するが、今は亡きLaおかきとの共演で、「ルー節」を披露したことからコサキンでの人気が再燃。しかも、その「ルー節」を歌うことは2度とできず、「同じことを2度とできないオヤジ」というイメージが定着。さらに、ふるえ声で「イマジン」を歌い、大好評。
 ヘタ歌のくせに、実は売れっ子の頃にCD「横浜」をリリースしている。C/Wの「甘いささやき(ルーバージョン)」も有名である。

 あだ名を付けるのも趣味としているが、歌同様にヘタ。「ヘタあだ名くん」である。「グワッハッハ」などの笑い方には彼の人生がにじみ出ている。

 00年代に何を思ったか急にヒゲを生やしたりパーマをかけたりと、やりたい放題。04年にヒゲを伸ばさなくなり、06年にはパーマもやめ、新ネタ「Catch! Catch! Catch!」をひっさげてもとのルーに戻った。仕事も増えつつあり、とうとうブログもはじめた。

 2007年にはキャイ〜ン天野の友人で、剛州とのタッグでも有名な仁井山征弘と「MOTTAINAI」をリリース、さらに(他人が作った)「ルー語変換」で再び世間の耳目を集めるようになり、仕事が激増。調子に乗って「レッドホワイト歌合戦に出る」と言いだし、小堺・関根の大晦日のスケジュールまで押さえたが、結局出場したのは(応援団として)関根親子だけであった。

 現在は神奈川県川崎市在住。「俺は宮前平のアランドロン」など、寝ぼけたことを言ってはあきれられている。舞台仕事ばかり増えたのをいいことに「板人」と名乗り、カンコンキンでは「板長」を自認。近年は焼酎とドジョウ飼育を趣味とする。またルー曰く「全てを手に入れた男」小堺宅を頻繁に襲撃、お古の洋服をせしめるのを楽しみにしている様子。
 座右の銘は「俺は板の上で死ぬ」「恥かけ汗かけ涙しろ」というたわけた青春オヤジであるが、皆から愛される、素敵なオヤジでもある。
 
 2008年2月1日、マネージャとともに浅井企画を独立。円満退社を強調していたが、独立後、コサキンで話題になることも少なくなり、近著男の落とし前〜奇跡の大復活の真実では小堺・関根の名がどこにもないことから、なんらかのわだかまりがあることが想像され、ファンをやきもきさせている。

◆ラッキィ池田
 東京都出身 1959/10/25
 本名、池田新一。獨協大卒の振り付け師。コサキンでは、イタチ顔の情けない男という扱い。人気振り付け師として、一時期南流石と競るが、流石がレイナという秘密兵器を出してきたためにラッキィは急速に人気低下。現在ではたまにバラエティ番組に出たり、「カンコンキン」では下ネタ要員&アイデアマンとして活動。安室奈美恵と毒蝮三太夫をミックスした「毒安室奈美太夫」なる人物を思いつくなど才能を発揮。
 平成元年頃からコサキンに出演。深夜2時に「2時2時ダンス」というダンスコーナーを設け、スタジオ内全員を踊らせ、目を覚まさせるという役目。ほとんど「右手と左手〜」から始まる振り付けが有名になった。

 ルーの友人であった彼は、ルーとのコンビでコサキンに出演。怪しい振り付け師として活躍。「元気が出るテレビ」出演で名を売り、A・シュワルツェネッガーのCM振り付けをしたことでも有名に。頭にくくりつけた象のおもちゃじょうろは彼のマスコットとなった。あの南流石と振り付けを競う時代もあった。サッシ屋の弟は「サッシィ池田」と名乗っていた。
 その後、AV女優と結婚したが、伝説となった「涙のダンス付き離婚会見」を経験(「ラッキィ離婚でおバカさん〜」などと歌い踊っている内に泣き出してしまった)。暴力疑惑も持たれたアホであった。
 「インチキじゃない」という、歌だかしゃべりだかわからんようなCDをリリースしている。ルー、関根とのラテンユニット「オラセラル」にも「謎のイタチ野郎」として参加。バカ曲「ラテンの如く」や、アルバムも発表した。
 現在は振り付け活動を地味に行うほか、カンコンキンではどうしようもない下ネタを言う係をおおせつかっている。浅井企画軍団に囲まれ、彼も浅井所属のように思われているが、実は彼だけは、美少女でおなじみオスカープロモーション所属なのである(ちなみに砂塚秀雄もオスカー)。
 自宅でテニスのビデオを見て、ヒンギスの脇の下に興奮する男でもある。これからの男と言うべきか、ここまでの男と言うべきか、よく分からないが、彼の才能は、まだまだ埋もれている気がする。そんな男であろう。

◆キャイ〜ン
 天野博之 愛知県出身 1970/3/24
 ウド鈴木(本名:鈴木任紀[ひでき]) 山形県出身 1970/1/19
 イッチー山中が結成を進言、天野とウド鈴木がコンビを結成。ウドの天性のボケは既に「カンコンキン」で披露されていた。コサキンレギュラーとなり、「キャイ〜ンのドッカーン」コーナーでは毎週コントを披露(正確にはCM枠でコントをやっていたのでネット局では放送されなかったとか)。
 浅井企画の筆頭若手として華々しくデビュー、その後ビートたけしにも気に入られるようになると芸能界でもめきめきと頭角を現すようになったが、'95年、天野はコサキンの裏枠(ニッポン放送)でレギュラー番組を始めてしまい、「腹黒天野」の別名を拝した(同時に楠野も移籍してしまった)。その後ウドともにコサキンを自然卒業。
 向かい合い、手の裏を組んで地に向ける「キャイ〜ン」ポーズはちょっとした流行になるなど、知名度が上がり、「ポケットビスケッツ」「ブラックビスケッツ」メンバーとしても有名に。二人とも30歳を迎えた2000年、ついにゴールデンタイムに冠番組「100%キャイ〜ン」(フジテレビ系、関根出演&舘川構成)を持つにまで成長した。

◆(Laおかき)
 「ら・おかき」と読む。キャイ〜ンと同じくイッチー山中によって結成されたコンビ。飯尾和樹(いいお・かずき)と村山仁志の年の差は4歳。関根氏の注目株で、'95年にはコサキンレギュラーの座を獲得。キャイ〜ンの番組にも出演していた。村山の気の弱さ(もみあげの目立つ派手な外見からは想像もつかない)から来るめちゃくちゃなボケと、飯尾の古くさいギャグ(「いっくら見てもありましぇ〜ん」は名作)が人気を博した。が、'97年4月、コントがつまらないためにレギュラーから外される。
 その後戻って来るものと誰もが信じていたが、9月にはキャイ〜ンの番組で解散を発表。村山は浅井企画を辞めた。村山はコサキンでは見せたことのないアングラな一面を持っており(お下品な笑い)、飯尾とは合わなかったのであろう。村山は個人事務所を開いて、DJやお笑い舞台プロデュースなど主に地下活動にいそしんでいる(今でも西田たか子とよく仕事をしているようである)。
 いまは飯尾だけが浅井に残っている。ラビーの庇護の元、懸命に、しかし地味に芸能界に食らいついている。

◆ロッコツマニア
 電波少年でその名を売った宿輪(しゅくわ)竜一と中嶋裕のコンビ。その後はパッとせず下積みが続く若手中の若手。コサキンのスタジオ前室で修行中のところを拾われ、コサキン準レギュに。合コンしたり年増の女性と付き合ったりと荒れた私生活を送る。一見気のいい兄ちゃん風の宿輪のボケは往年のLaおかき村山のような危険なオイニーが。一方、相方の揮発性ボケに即反応する、おっかない兄ちゃん風の中嶋の冷静なツッコミも魅力。…だったが、06年には中島が廃業のため、コンビ解散。コサキンは自然降板となった。宿輪は「しゅく造め(はじめ)」に改名しピン芸人となる。

◆楠野一郎
 クッピー。コサキンリスナー出身作家3羽カラスの一員だったが、'95年にコサキンを脱退。
 脱退の理由は長い間謎だったが、'98年末、事実が初めて語られた。それは当時、キャイ〜ン天野が裏番組のDJになって裏切ったときに、作家として一緒に行ってしまってからコサキンとは縁が切れた、ということだったのだ。
 一時期は音楽系作家として、ニッポン放送や東京FMで活動(自分の担当番組で「ビーチベイビー」ラビーバージョンをかけて悦に入っていた。その番組でDJから「イチローちゃん」と呼ばれていた)。髪の毛はムッくん以上に薄さを極めており、帽子を愛用。志村けんよろしく後ろ髪をポニーテールに結んでいた。
 コサキン本で「市川昭介」と呼ばれるほどの温和な表情を見せプチブレイクしたが、実際はかなりいかつい顔をしている。
 コサキン脱退後もネタでいじられることが多く「好きな映画は「山猫は眠らない」」「自宅に設置した映写機のスクリーンはなぜか曲がっている」はリスナーの必須知識とされる。(ほか「ホームパーティが趣味」「菅野美穂とはおともだち」など)
 モー娘。Y嬢の番組を担当し、番組ではY嬢としゃべりにもトライしているが、あまりにも親密すぎるという理由で某ゴシップ雑誌にY嬢との仲を取りざたされた。雑誌に書かれた「コサキン出身のイケメン作家」というふれこみは、デコデコほほえみクッピー時代を知る者としては隔世の感がある。
 近年は水野美紀と演劇ユニット「プロペラ犬」を結成するなど独創的な方向に走っているようである。水野美紀とはどうなのか、と周囲をやきもきさせるも、クッピーがリスナーにサプライズを与えることはついぞなかった。
 コサキン最終回の1週前の回に突如スタジオに登場。恥ずかしげな語り口は昔のクッピーそのままで、往年のリスナーを喜ばせた。

◆コスモス
 「ミスコサキンコンテスト」で選ばれた3人が結成。丁子香里(ちょうじかおり、グランプリ)、佐藤英子、かわのえりこ(準グランプリ)。佐藤はスチュワーデスで、多忙を理由にすぐに脱退(のち結婚)。東京理科大の学生の丁子、モデルのかわのの二人で番組に出演した。丁子の冷たい言い回しと、かわののすっとぼけた言動が人気を博した。
 かわのは「ロバの耳そうじ」(日本テレビ系)で、股をぱっくり広げてメッセージを読み上げる「ローバー美々」としてTVで人気を獲得、メジャーにのし上がるものと思われたが、あまりパッとせず、その後パブ勤めなどで苦労。「カラミ」方面に行ってしまったり(00年7月ラビー情報)、アサヒ芸能などで芸能界の裏事情を暴露したりと多彩?な活動を展開中。

◆アンドーナツ
 「第2回ミスコサキンコンテスト」で選ばれた。田村麻衣子と仲上弓恵。残念ながら初代ミスコサキンほどおしゃべりが得意でなかったために(というか、初代はしゃべり過ぎ)、頭角を現す前にコサキン脱退。彼女らを轍としてか、その後スタジオは「男だらけのマツタケ祭り(by浦口直樹)」。

◆佐野量子
 浅井企画唯一のアイドルとしてデビュー、昭和末期から平成元年まで、コサキンを彩った。トロリンに負けず天然ボケのキャラはテレビでも人気だった。コサキンでは「ナマコの蝶結び」「ポットのボタンを押すとコアラが出てきた」など、わけのわからない世界を語ったという。JRA武豊騎手と結婚し、芸能界を引退。

こさきん亭トップへ  上に戻る  Next 私設コサキン有名人学園
inserted by FC2 system