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MIKE WORLD in
シベリア超特急
試験に出る晴郎 レヴォリューション
© MIKE MIZNO (MIZUNO HARUO) / A MIKE MIZNO FILM / 水野晴郎事務所

水野晴郎を解剖!?



1 生い立ち・本名・デビュー
 本名「水野和夫」を知る人はあまりいないであろうが、晴郎はペンネームである。残念ながら、未だに「春男」「晴夫」など、間違った表記で覚えている御仁が多いようだ。確かに「郎」を「お」と読む表記は特殊である。(あなたがコサキンリスナーなら、ハルオを愛するなら、まずは名前から。である)
 晴郎は岡山県にて生を受け、軍人だった父とともに満州に移る(満州出身説もある…真偽のほどは誰か本人に聞いてください)。その後モンゴルに移住。少年時代に陸軍に入隊するが、ほどなく終戦。日本のアイデンティティが完全に瓦解し、国に尽くす生き方が全否定された衝撃は想像を超えるものだったであろう(これがシベ超シリーズの着想点のひとつである)。
 終戦後の混乱を避けながら帰国。郷里岡山でアメリカ映画と出会う。郵便局員をしながら、慶応大の通信課程を卒業。映画への情熱はこのときにはぐくまれた。
 映画への夢を捨てきれず、上京して20世紀フォックスにバイトとして入るが、5日間ごとにバイト契約更新という不安定な環境ゆえ、人一倍の努力を強いられる。
 しかしそこは晴郎。功績が認められ正式入社を果たし、その後はエリート広報マンとして忙しい毎日を送る。
 さらにその能力を買われて、ユナイト映画(ユナイテッド・アーティスト日本法人)に引き抜かれ、宣伝部長として活躍。
 映画会社在籍中のもっとも大きな仕事のひとつとして、邦題をつける仕事があげられる。「卒業」「史上最大の作戦」「007危機一発(のちの「ロシアより愛をこめて」)」などは晴郎の作品である。
 歌の歌詞にもなった「チキ・チキ・バン・バン」も、晴郎の手によるものだ。007でおなじみイアン・フレミング原作の小説「チティチティバンバン」を、日本人向けに言いやすくアレンジしたものである。
 さらに、007といえば、007の国内向け宣材ポスターで銃を握る手が実は晴郎のものだった、というのは有名なお話である。

 ユナイト退社後、日本テレビ「水曜ロードショー」の解説者としてテレビに本格デビュー。日本を代表する映画解説者としての地位への階段を、このときに手にしたのである。

 「水曜」以後、テレビで人気者となったことは後述するが、そんな中、晴郎は事業法人「ウィズダム」を設立。実際に映画配給・番組制作事業を手がけたが、シベ超1のつまずきで看板をおろすことになる。その結果、個人事務所「水野晴郎事務所(M&T Pictures)」として再出発したが、その後の快進撃は衆人の知るところである。
 また、晴郎はその知名度とキャラクターを生かし、ごく短期間ではあるがクイズ番組や情報番組の司会を務めたこともある。幅広い活動が、「シベ超」で結実しているのだ。

2 水曜ロードショー&金曜ロードショー
 彼の名を知らしめた番組が、日本テレビ系「水曜ロードショー」('76〜83)、のちの「金曜ロードショー」('83〜)である。「水曜」の、甘く切ないテーマ曲「水曜日の夜」(ニニ・ロッソ)はいまでも我々の脳裏にしかと焼きついている。むろん、「金曜」のさみしげで、それでいて叙情的なテーマ曲「フライデー・ナイト・ファンタジー」(ピエール・ポルト・オーケストラ※、晴郎が降板した'97年まで使用)もまた印象深い。
 ※ イージーリスニング界では有名な楽団。ちなみに大野雄二作曲といわれることがあるが、これは誤り。

 晴郎の映画に対する造詣は「水曜」「金曜」で遺憾なく発揮された。その笑顔は人気を博し、本編の映画に負けぬ魅力を振りまいた。アメリカの石造りのリビングルームをイメージしたセットの中で映画の魅力を熱く語った後の名ゼリフ「いやぁ、映画ってほんっとに素晴らしいものですね」の知名度はもはや説明不要であろう。その風貌と語り口で晴郎は一躍テレビの人気者となる。

 選挙出馬(!)のため一時降板した時期もあったが、結局、解説者を30年近く担当し続けた。97年には残念ながら降板(理由は1.シベ超撮影や大学講師、講演などで多忙のため、2.「あ○ない刑事」や「釣り▲カ日誌」を流した後で映画って素晴らしいですねとは言えないと思うようになったため)。解説は消滅、坂上みきのナヴィゲーションになってしまった。
 現在使用されている久石譲のテーマ曲もそれなりにいいが、やはりむせびなくトランペットのテーマと夕陽の映像、そして温和な表情になぜか似合うヤクザ風スーツの晴郎は素敵だった。

3 ヒゲ、耳
 ぺろんと垂れ下がった福耳は有名だが、プヨプヨホッペに鎮座するおヒゲもまた、晴郎の魅力の一つである。が、あれは書きヒゲであることをご存じだろうか。実は晴郎のおヒゲはすでに真っ白。遠目で見ると生えていないようにしか見えない。そこで、テレビ出演時や映画撮影時には、黒く塗りつぶしておヒゲをデコレートしているのである。晴郎は甘いピーチどころか、甘いケーキなのかもしれない。

4 アメリカンポリス
 晴郎は映画評論家であり、警察評論家をも標榜する。といっても日本ではなくアメリカの警察に詳しいのだ。アメリカの複数州で実際に警察官活動も行ったことがあり、「Mike Mizno」はそのころのあだ名である。
 ポリスのことになると熱が入る晴郎は、「金曜ロードショー」の「映画がいっぱい」コーナーで、映画にまつわる警察の話しに熱中し、本編の映画の話を省略してアメリカの警察制度のことばかり講釈していた、という伝説がある。
 さらに晴郎は日本の警察ともつながりがある。有名なのが、数十年前の千葉県警キャンペーンポスター。「舞台は千葉、主役は君だ!」のキャッチフレーズとともに、若いお巡りさんたちの真ん前で髪もおヒゲも黒い晴郎が堂々と立つポスターである。
 もっとすごいのは、パトカーのパトライト。以前は日本では使用されていなかったのだが、アメリカンポリスのパトランプ(パトライト)を参考にした晴郎が、日本の警察に提言したことにより、使用されるようになったのである。日本の治安にも、晴郎は寄与しているのだ。

5 よからぬ噂
 晴郎が「○モ」「デ○専」であるという噂はあまりにも有名で、芸能界のみならずトーシローすら知っている噂である。コサキンにおいて、大物俳優に混じって晴郎が女性扱いされるのはそのためである。
 しかし、2000年1月に晴郎はスポーツ報知のインタビューで、この噂を真っ向から否定している。また、同じ風説を流されていたぼんちゃんも、近年晴郎の悪口を言う芸風が浸透。おかげでファンの間ではすでに○モ説は過去のものとなりつつあるが、コサキンではぼんちゃんとの愛情ネタはまだまだ通用する。
 ちなみに晴郎自身は、「言いたい奴には言わせておけ」が口癖。

6 歌舞伎
 晴郎といえば稀代の映画評論家、無類の警察評論家であるが、実は歌舞伎評論家でもある。シベ超シリーズで拍子木を多用するのは有名だし、シベ超2では中村福助や尾上松也、寺島しのぶといった歌舞伎俳優や歌舞伎家系の女優を多数起用。最新作シベ超5では人気急上昇中のスター・片岡愛之助を主演に据えた。
 「映画はなんたってエンターテイメント」と語る晴郎。歌舞伎は日本が誇る一級娯楽である。古今東西のエンターテインメントの融合は、シベ超に独自の世界を与えているといえよう。

7 宿敵!おすぎとピーコ
 00年10月18日、コサキンにピーコが来襲した際、水野晴郎伝説を語っている。以下に要約を掲載する。(括弧の中は注釈。ムッくんラビーの相づちなどは略しました)
Q.「水野晴郎ちゃんはなぜああなってしまったのか話してください」
 知らないよ興味ないんだもの〜。(といいつつ話し始める)
 ずっと前は村の郵便局かなんかに務めてて、そこから映画を見に行くことが唯一(の楽しみで)、若い頃かな、岡山かなんかに住んでて、休みの日に、お金がなかったので自転車でとか、歩いてとかで一日かかって映画見てまた帰っていくって生活していて、だから、頭の中にはあの、おっきなね、ソラマメのような頭の中には夢がいっぱい詰まってたと思うのよ。ネ?
 その夢を叶えるために、大変な努力をしたんだと思うの。その努力を認めてもらうようになるまでに、あそこまで行くのは大変で、アタシたちが会ったときには、ある映画会社の宣伝部長だったんだけど、(力を込めて)もうすっごくイジワルで、ヤっな奴だったのね。
 うちのおすぎもすごくいじめられたの。で、そういうことがあって、(晴郎は)フリーになって、どっかでテレビでやって有名になったから、イヤに屈折してるんじゃないの。
 おっきな夢が、少し叶ったようになったら、その膨らんだままの頭の中に、なんかクズがつまっちゃったのね。(スタジオ内笑い)
 普通だったらすきまが空いたところは、もっと知的なモノがつまったりするでしょ?(小堺「でもクズがつまっちゃった」)だから「シベ超」なんか作ってんの
 ハルオちゃんのことを「あのコ」と言うピーコが語った水野晴郎伝説である。「ある映画会社」は上記の通りユナイトである。
 そしてピーコは実感を込めながらハルオちゃんを「ヤな奴」「おすぎもいじめられた」と言い放っている。あの福耳プリティからは想像もつかない。まあオカマのピーコのことだから、ささいなことで「いじめられた」と思いこんでいるのであろう。
 晴郎は01年から02年にかけて、コサキンに出演(2回目にはぼんちゃんも登場)。リスナーの思わせぶりな質問が飛び出すなど、スリリングな放送となった。

8 パンテオンシネマズ秋田
 秋田県秋田市のJR秋田駅は、秋田新幹線開業にともない駅周辺の開発が進み、とくに開発の遅れていた東口では、目玉施設として、大形のハコモノ「アルヴェ」が建設され、その核施設として、シネコン「パンテオンシネマズ秋田」が設立された。このシネコンは水野晴郎がプロデュースしたもので、時折晴郎軍団が来訪しイベントなども行っている。
 ちなみに筆者は隣県岩手の盛岡在住であり、晴郎ご一行が盛岡市にてシベ超祭りを開催したことがきっかけとなって岩手支部長を仰せつかったのであるが、盛岡という街は、昔ながらの古くこぢんまりとした映画館が町の中心部にかたまって存在し、「映画館通り」と称している。ファンがこれを文化ととらえ、守ろうと努力している。
 シネコンは進出しようとすれば阻止され、進歩性は見られない。閣下は映画館の多さを褒めていたが、少し秋田がうらやましくも思うのである。
 

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